皇族にして朝敵!幕末期、最後まで幕府側に「義」を貫いた北白川宮能久親王の波乱の人生 (2/4ページ)
実際には「天皇中心の政治体制」というのは建前で、あくまでも薩長(土肥)が目指したのは天皇の権威を利用した中央集権体制を構築することでした。
こういった経緯があるため、あたかも当時の公家や皇族たちは、全員が討幕に向けて一致団結したと思われがちです。しかし、そうではありませんでした。
輪王寺宮・北白川宮能久朝廷の中には、討幕運動に加わらず、幕府の味方についた皇族もいました。それは輪王寺宮(りんのうじのみや)です。
輪王寺宮は役職名で、徳川家の菩提寺である寛永寺に居住しつつ、比叡山の延暦寺と日光山輪王寺の管理もしていました。
この通り、徳川家の菩提寺に住んでいたため幕府からも手厚く遇されており、もともと幕府寄りの立場だったのです。
そして、幕末期に徳川幕府の側についたのが、最後の輪王寺宮である北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王でした。