かつて団扇(うちわ)はメモ帳代わりに使われていた!?なんと飛鳥時代にまで遡る団扇の歴史

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かつて団扇(うちわ)はメモ帳代わりに使われていた!?なんと飛鳥時代にまで遡る団扇の歴史

日本の夏の風景を彩るものの一つに「団扇」がありますが、飛鳥時代に中国から伝来した団扇は、日本において聖徳太子が最初に手にしたとされる伝説があります。

また、8世紀初めに描かれたとされる高松塚古墳の壁画には、団扇を持つ大陸風の女性たちが描かれています。

高松塚古墳の壁画に描かれた団扇をもっている大陸風の女性

当時の団扇は、日差しを遮るだけでなく、ホコリを防いだり、貴人や女性が顔を隠す際にも使用されていました。宋のような意味では、儀礼的な要素もあったのです。折り畳み式の扇子に関しても、中国をルーツとする可能性があるが、10世紀頃から日本国内で独自の発展を遂げました。

「扇」の語源は「あおぐ」であり、初期の扇は檜を薄く削った板を束ねて作られ、涼むためだけではなく、ちょっとしたメモを書く時にも使用されていました。メモ帳のような役目をしていたわけです。

初期の扇は檜扇(ひおうぎ)といい、文字通り檜を薄く削った板を20~30枚束ねて一方を閉じ、開閉できるようにしたものでした。そのことから、扇のルーツを団扇ではなく木簡だとする説もあります。

檜扇は女性向けに美しい絵が描かれ、装飾性が重視されました。一方で、男性向けのものには彩色を施さない木地のものがありました。

平安王朝の貴族たちは、行事の予定や官庁間の連絡事項などを、忘れないように書き込んでいたのです。また、宮廷や貴族の歌合では扇に和歌が書かれていました。

紙の扇は12世紀後半から登場し、南宋・元にも輸出され、14世紀には明から両貼りのものが唐扇として逆に輸入されました。こうして、室町時代には扇商人が誕生し、扇は、一般の人々にも広まりました。「すゑひろがり」の珍問答にも、そのやり取りを見て取ることができます。

平安時代になって扇子が流行し、団扇は一時期使われなくなりましたが、戦国時代以降ともなると、武将たちの陣中での軍配うちわに復活します。

そして、江戸時代になると竹細工が盛んになり、紙の製造技術の発達と共に庶民の生活の中に様々な形で活用される様になりました。

この頃のうちわには、扇面に浮世絵や役者絵が用いられ、網代でつくった網代うちわ、絹をはった絹うちわなどのほかに、柿しぶを塗った渋うちわが使われるようになりました。

このような流れの中で、次第にお盆や中元の祝儀用にも、団扇が活用される様にななりました。こうして、いつしか宣伝用団扇が登場するのです。

参考

岐阜市歴史博物館『日本のうちわ―涼と美の歴史』(2001) 岩井 宏實『日本の生活道具百科3 装う道具』(1998 河出書房新社) 中川 重年『調べてみようふるさとの産業・文化・自然4 地場産業と名産品2』(2007 農山漁村文化協会)

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