なんと美しい!優雅な物腰とその美貌から”鹿鳴館の華”と呼ばれた岩倉具視の娘・戸田極子 (2/3ページ)
夫は結婚直後にアメリカに留学してしまいますが、極子はそのあいだ実家に戻り、琴や茶道、英語やダンスなどに励みました。夫の帰国後、子どもを設けます。
極子は美貌だけでなくさまざまな才能を持ち、外国人を相手にしても物おじせず接することができる性格だったため、陸奥宗光の妻・陸奥亮子とともに「鹿鳴館の華」と呼ばれました。
戸田極子 肖像(出典:Tokyo Museum Collection)
才色兼備な極子は、伊藤博文が自身で主催した大がかりな仮面舞踏会で伊藤に関係を言い寄られ、スキャンダルになったとか(後の創作とも言われるこの話の真偽は不明です)。
1887年(明治20年)には、夫がオーストリア=ハンガリー全権公使に任命され、一家でウィーンに移り住みます。このとき、作曲家のブラームスと交流し、ブラームスは極子の弾く箏曲を聞いたのではないかと言われています。
その後、1890年(明治23年)に日本に帰国します。
晩年は、早くに亡くなった娘の子どもを引き取り養育しています。
