ラブシーンの意味、和歌と漢詩の違い、剣璽(けんじ)とは?大河ドラマ「光る君へ」3月10日放送振り返り

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ラブシーンの意味、和歌と漢詩の違い、剣璽(けんじ)とは?大河ドラマ「光る君へ」3月10日放送振り返り

……「朕(われ)をばはかるなりけり」とてこそ泣かせ給ひけれ。哀に悲しきことなりな。日頃よく御弟子にて候はむと契りて、すかし申し給ひけむがおそろしさよ。……

※『大鏡』六十五代 花山院天皇

「朕をたばかりおったな!」

泣いて責めても後の祭り。藤原道兼(玉置玲央)にまんまと騙され、頭を丸めた花山天皇(本郷奏多)は、わずか2年で帝位を退くこととなったのでした。

同じころ、まひろ(紫式部/吉高由里子)は藤原道長(柄本佑)に駆け落ちするよう誘われたものの、これを拒絶します。

「私とひっそり幸せになっても、世が変わる訳じゃない」

「あなたが好きだけど、あなたにはこの国を変える使命がある」

果たして藤原兼家(段田安則)らによるクーデター(寛和の変)が成功。剣璽を受け継いだ懐仁親王(一条天皇)が皇位継承を果たしました。

NHK大河ドラマ「光る君へ」、いよいよ藤原右大臣家の天下が到来しますね。

それでは第10回放送「月夜の陰謀」今週も気になるあれこれを振り返っていきましょう!

時申(ときもうし)とは何?

御所を抜け出した花山天皇。月岡芳年筆

兼家「時申の時を告げる声を合図に内裏のすべての門を閉じる」

平安時代、時刻を告げる時申、あるいは時奏(ときのそう)という役職があったと言います。

……時奏する、いみじうをかし。いみじう寒き夜中ばかりなど、ごほごほとごほめき、沓すり来て、弦うち鳴らしてなむ、「何の某、刻丑三つ、子四つ」など、はるかなる声に言ひて……

※清少納言『枕草子』

【意訳】時を奏する(告げる)様子は、とても趣き深いものだ。とても寒い夜中にゴソゴソと靴をすり歩きながら、弓の弦を鳴らしながら「何のナニガシが、丑三刻(うしみつどき)をお知らせします!」などと上げた声が遠くから聞こえ……。

昔の時刻は一日を十二支でわり、一刻あたりおよそ2時間で示しました。

なので劇中に触れられていた丑刻(うしのこく)から寅刻(とらのこく)まではおよそ2時間。現代の感覚では、深夜2:00ごろから夜明け前の4:00ごろとなります。

ちなみに時間を計るのは漏刻(ろうこく)と呼ばれた水時計。水の滴る量で時間を計っていました。これなら天気の悪い日や夜中でも、おおむね正確な時間が分かりますね。

ちなみに日本で初めて漏刻が導入されたのは天智天皇10年(672年)4月25日。太陽暦に直すと6月10日なので、現代では毎年6月10日を「時の記念日」としているそうです。

道長がまひろへ贈った三首の和歌

藤原興風(画像:Wikipedia)

思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 色には出でじと 思ひしものを

※『古今和歌集』巻第十一 恋歌一503番 読み人知らず

【意訳】あなたのことは忘れようと思っていた。忘れられると思っていたが、どうしても忘れられない。

死ぬる命 生きもやすると こころみに 玉の緒ばかり 逢はむと言はなむ

※『古今和歌集』巻第十二 恋歌二568番 藤原興風

【意訳】私の生命は今にも尽きてしまうだろう。しかしあなたが冗談でも「会いましょう」と言ってくれたら、私の魂はつながれるはずだ。

命やは なにぞは露の あだものを 逢ふにしかへば 惜しからなくに

※『古今和歌集』巻第十二 恋歌二615番 紀友則

【意訳】生命など露のごとく徒(あだ)なるものだ。あなたに二度と会えないならば、もはや惜しくもないのだが……。

劇中で道長がまひろに贈った三首の和歌。いずれも『古今和歌集』からとられたものです。

あなたのことが忘れられない。会いたい。会おうと言ってくれ。会えないなら、もう死んだって構うものか……。そんな思いがひたすらに連ねられていましたね。

ちなみに、これらの和歌を詠んだ藤原興風(おきかぜ)と紀友則(きの とものり)はいずれも「小倉百人一首」に登場します。

誰をかも 知る人にせむ
高砂の 松も昔の 友ならなくに

※「小倉百人一首」藤原興風

久方の 光のどけき 春の日に
しづ心なく 花の散るらむ

※「小倉百人一首」紀友則

劇中でハッキリと言及されないものの、これからもたくさんの歌人たちが散りばめられることでしょう。楽しみですね!

まひろが返した陶淵明の漢詩

陶淵明(画像:Wikipedia)

さて、あふれんばかりの思いを連ねた道長に対して、まひろの返答は一風変わっていましたね。

陶淵明(とう えんめい)の詠んだ漢詩「帰去来辞」です。

帰去来兮  田園将蕪  胡不帰
(帰りなんいざ。田園まさに蕪れんとす、なんぞ帰らざる)

既自以心爲形役  奚惆悵而独悲
(すでに自ら心をもって形の役となす、なんぞ惆悵として独り悲しまん)

悟已往之不諌  知来者之可追
(已往の諫められざるを悟り、来者の追うべきを知る)

実迷途其未遠  覺今是而昨非
(まこと途に迷うこと、それいまだ遠からずして、今の是にして昨の非なるをさとる)

※陶淵明「帰去来辞」

意味は劇中で語られていた通りです。これを道長向けのメッセージに言い換えるなら、こんなところでしょうか。

「恋から醒めて、現実に戻って下さい。国が荒廃しているのを、見捨てる訳にはいかないでしょう。過去のことはともかく、未来なら変えられるかも知れません。私たちは道に迷いましたが、まだやり直せるのですから」

私的な幸せに逃避を図る道長に対して、毅然と天下公益を実現する使命を諌めるまひろ。

男性が堅苦しく漢詩を詠み、女性が雅やかに和歌を詠むイメージを真逆にする手法が新鮮でしたね。

まぁ実際のところ、権力を捨てたらロクに生活力もない男なんて、何の魅力もありません。

どのみち、このまま駆け落ちして上手く行くはずがないのは明らかでしょう。

和歌と漢詩の違い

紀貫之(画像:Wikipedia)

「和歌は人の心を見るもの聞くものに託して言葉で表しています。翻って漢詩は、志を言葉に表しております。つまり漢詩を贈るということは、贈り手は何らかの志を詩に託しているのではないでしょうか」

道長が藤原行成(渡辺大知)から教わった和歌と漢詩の違い。

これは紀貫之(きの つらゆき。紀友則の従兄弟)が書いた『古今和歌集 仮名序』を連想させますね。

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。……

【意訳】和歌とは、人の心から生まれたあらゆる言葉を詠むものです。世の中にいる人や起こる出来事について、心に浮かんだことを、見るものや聞くことに託して詠むのです。

……はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。……

【意訳】梅の花にウグイスが鳴き、水辺に鳴く蛙(かわづ)の声を聞けば、あらゆる生命において詩を詠まぬ者がいるでしょうか(いませんよね)。

……ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。……

【意訳】和歌には指一本動かさず天地(あめつち)をうち震わせ、鬼神さえ哀れみの心を生み出す力があります。

荒んだ男の心を和らげ、猛々しい武士(もののふ)の心を慰める。それこそが、和歌の持つ力なのです。

……実はまだまだ続くのですが、まずはここまでにしましょう。

和歌がいかにすばらしく、日本人の心に寄り添ってきたかがよく解ります。

豊かな自然あふれる日本だからこそ発展した文化と言えますし、和歌が根づいたからこそ日本の文化が花開いたとも言えるでしょう。

一方の漢詩は、荒涼たる大地と苛烈な政治が生み出した魂の叫びです。

どれほど鬱屈し、ひねくれた詩であってもその根底には何としても生き延びる意志が脈打っています。

和歌と漢詩、その精神を大きく異(こと)にするものですが、どちらも人々を感動させてきました。

もし国語の授業でつまらなかった経験があるなら、それは教え方が悪かったのです。これからでも、ぜひ和歌や漢詩にふれてみて下さいね。

六条の廃墟で睦びあう二人。モチーフは『源氏物語』ヒロイン・夕顔か

光源氏に愛され、六条御息所の生霊にとり殺された夕顔。月岡芳年筆

さて、個人的には正直どうでもいい濡れ場でしたね。しかし『源氏物語』をモチーフにとり込む以上、ゼロという訳にも行かないのでしょう。

さて、いつも二人が待ち合わせするこの場所は六条とのこと。

六条とは『源氏物語』主人公である光源氏、また彼が捨てた?女性の一人・六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)を連想させます。

彼女は生霊となって光源氏の愛する女たちに次々憑りつき、殺してしまうのです。

そんな犠牲者の一人が夕顔(ゆうがお)の君。今にも消えてしまいそうな儚さを漂わせ、若気の至りで駆け落ちした光源氏と廃墟で一夜を共にしました。

これからもちょいちょい逢瀬を重ねるのか、もうこれっきりになるのか、今後も見どころとなりそうです。

剣璽(けんじ)とは?

現代に受け継がれる、剣璽等承継の儀(画像:Wikipedia/首相官邸)

さて、兼家一族によるクーデター「寛和の変」において、重要なアイテムとなった剣璽とは何でしょうか。

字幕がないと何だかよく分からなかったかも知れませんが、これは現代も皇室に伝わる三種の神器。

その内、剣=天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と、璽=八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を指す言葉です。

御神鏡=八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢の神宮に奉安されています。

この剣璽なくして正統な皇位継承は有り得ません。だから絶対に持ち出すよう、兼家は藤原道隆(井浦新)と藤原道綱(上地雄輔)に命じたのでした。

三種の神器がそろってこそ、正統な天皇陛下であると証明されます。

この伝統は現代まで受け継がれ、また今後末永く受け継がれていくことでしょう。

後に道長の側室となる源明子(めいし/あきらけいこ)とは

源倫子と源明子。道長をめぐり対立する?(イメージ)

今回が初登場となる源明子(瀧内久美)。かつて藤原一族によって失脚させられた源高明(たかあきら)の娘です。

本作では藤原詮子(吉田羊)とおなじ「あきこ」読みなので、呼び分ける必要から明子女王(天皇陛下の孫で、父が天皇陛下でない娘)と呼ばれています。

二つの源氏を味方にすることで、父に対抗せんと目論む姉・詮子。自らの定め?を薄々感じつつある道長と、どのような関係を築いていくのでしょうか。

ただ現職官僚(左大臣・源雅信)の娘である源倫子(黒木華)に対して、赦されたとは言えケチがついてしまった高明の娘では少し心もとない感じです。

少し屈折していたであろう明子が、道長や倫子、まひろたちとどのような関係を築いていくのか、これからの活躍に注目しています。

第11回放送「まどう心」

以上、第10回放送「月夜の陰謀」を振り返ってきました。今週も盛りだくさんでしたね。

さて、次週の第11回放送は「まどう心」。まひろに振られた道長の前に現れる二人の女性。

後に正室となる倫子と、側室になる明子ですね。脚本上、二人を娶るまでの数年をすっ飛ばすとも思えないので、三角関係でもしばらく続くのでしょうか。

一条天皇の政権下で絶頂を目指す右大臣一族。まひろに見つめられながら、道長がどうなっていくのか、これからも目が離せませんね!

トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式ページより

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