徳川家を四代に渡り祟った妖刀「村正」とは?その由来と伝説の真偽に迫る (3/4ページ)

Japaaan

重要美術品である短刀・無銘正宗(Wikipediaより)

そんな正宗の詳しい系譜は不明ですが、刀工・新藤五国光の弟子(息子との説も)である藤三郎行光の子だとも言われています。

正宗は藤三郎国光の弟子となり、若い頃には全国を修行して回り、さまざまな流派の技術を学びました。そしてその中で独自の技法を編み出していったのです。

彼の優れた十人の弟子は正宗十哲とも呼ばれました(全員が正宗の弟子ではなかったようですが)。

伝説では、この正宗の弟子の一人が、村正という人物がいたというのです。

伝説が生まれた理由

伝説によると、村正は刀の切れ味について異常な執着を抱いていました。

ある時、彼が作った刀を、正宗は自分の刀と一緒に川の中に突き立ててみたといいます。すると不思議なことに、流れてきた木の葉は正宗の刀を避けるように流れていきましたが、村正の刀は、木の葉二つに切り裂きました。

これを確認した正宗は、村正の刀は争いを呼び寄せるものだとして、村正を退けたそうです。

このエピソードはいくつかの種類があります。例えば、この儀式は後継者選びの際に行われた、などと言われることもあります。

いずれにしても、村正が刀の切れ味に執着していたことを表しているのですが、実はこの逸話は完全なフィクションなのです。

なぜかと言うと、簡単な話で、正宗は鎌倉時代末期の刀工。

「徳川家を四代に渡り祟った妖刀「村正」とは?その由来と伝説の真偽に迫る」のページです。デイリーニュースオンラインは、妖刀村正日本刀刀剣カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る