徳川家を四代に渡り祟った妖刀「村正」とは?その由来と伝説の真偽に迫る (2/4ページ)
村正を最も恐れていたのは徳川家康だとも言われているほどです。
なぜ家康が村正をそこまで恐れたかというと、徳川家そのものが「妖刀」村正によって祟られていたからです。
家康の祖父・松平清康は家臣に殺され、父である広忠も家臣に傷を負わされましたが、どちらのケースでも村正が使われていました。また、息子の信康が切腹した際に介錯で使われた刀も村正ですし、家康自身も傷を負わされたことがあったのです。
徳川家にとっては、四代に渡って祟った妖刀だったと言えるでしょう。
反対に、村正は「徳川家に仇なす刀」だとして、幕末には西郷隆盛などの討幕派が好んで所有したともいわれています。敵対者にとっては、いわばファンタジー世界でいうところの破邪の剣のような扱いだったのでしょう。
村正は正宗の弟子?そんな村正は、一体どんな由来を持つ刀なのでしょうか? それを知るためには、日本史に残る名工・政宗について説明する必要があります。
正宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に相模国(現在の神奈川県)を拠点として活動していた刀工で、別名を岡崎五郎入道ともいいました。
彼は日本刀中興の祖とも呼ばれ、刀剣としての機能や刀剣美を飛躍的に向上させた名工とされています。
名作と言われている日向正宗(ひゅうがまさむね)や包丁正宗(ほうちょうまさむね)など、彼の作った刀は多くの武将を魅了しました。現在、彼が打った刀は短刀も含めて九振りが国宝に指定されています。