初期の明治新政府を運営したのは薩長ではなく公家だった!~ 公家による政治運営から内閣制度発足まで【後編】 (3/4ページ)
しかし上述のように左右の大臣になれる人物がいない以上、致し方ありません。
こうして、太政大臣にかわる総理大臣として、伊藤博文が選ばれたのです。
ここに初代内閣総理大臣である伊藤博文が誕生し、一方の三条実美は内大臣というポジションになり、政府と天皇の橋渡しをする立場になりました。
つまり、内閣制度というのは、有り体に言えば身分上の問題から伊藤博文を太政大臣にできなかったため、伊藤のために造られた制度だったのです。
影響を持ち続けた「公家」の系譜ここからが、日本の政治の路線が大きく変わっていくポイントとなりました。公家による独裁体制が終わり、薩長閥が政治を運営する内閣制度がスタートしたのです。
下級武士の出身だった伊藤博文が日本の最高権力者になったー。これにより、薩長の下級武士出身の者たちも、天皇のもとで最高権力を行使できるようになったわけです。
これは現代の視点で見れば機会均等の実現であり、日本で初めての、最も民主化された制度でした。
もっともその一方で、薩長の出身者による藩閥政治や権力争いの温床になったともいえます。
とはいえ、公家たちの存在感も失われたわけではありません。
性急な民主主義の採用が国のためによくないということは、当時の閣僚たちもよく分かっていました。