暗殺が横行した江戸時代の幕末に「尊王攘夷派の四大人斬り」と呼ばれた暗殺者たちの末路【後編】 (3/4ページ)
4 中村半次郎(なかむらはんじろう)
中村半次郎は、西郷隆盛の右腕として知られています。「人斬り半次郎」と呼ばれ幕末の四大人斬りの一人となっていますが、田中新兵衛や岡田以蔵などと比較するとそこまで人は斬っていません。実際に記録として残っているのは、赤松小三郎(薩摩藩の軍学者)を白昼暗殺した1件のみです。
1件の暗殺で「人斬り」と呼ばれるようになったのには、理由があります。
薩摩にとって大恩人であった赤松小三郎ですが、薩摩が武力討幕に考えが傾いていた事ことにより、窮地に追い込まれます。赤松は討幕派も佐幕派も分け隔てなく付き合っていたため、藩内の情報を会津や幕府に売り渡しかねないと危険視されました。薩摩では、情報漏洩阻止のために赤松を斬るしか方法がないと考えるようになっていったのです。
西郷隆盛が中村半次郎の暗殺を止めようとするも止まらず、白昼暗殺に至りました。
「一度斬ると決めたら斬るまで刀を収めるな」という半次郎の思考、ピストルを構えた赤松に対してひるまず瞬時に斬殺した剣の速さ。人斬りとして恐れられるには十分な理由でした。
実際に、幕末を震撼させた新選組ですら「半次郎は相手にするな」と隊士に命じていたほど恐れられていたという話も残っています。
これとは別に人斬りと呼ばれた中村半次郎は、実は諸藩の維新志士とも交流があり、聡明で分け隔てなく接する人物でした。
そして西郷隆盛を「人生の師」と仰ぎどこまでも付き従う、信念に実直で心優しい男だったのです。