死者が100人を超える犠牲を生み出した昭和時代の「国鉄戦後五大事故」はなぜ起きてしまったのか? (2/4ページ)

Japaaan

①桜木町火災(1951年)
②洞爺丸事故(1954年)
③紫雲丸事故(1955年)
④三河島事故(1962年)
⑤鶴見事故(1963年)

まず桜木町火災ですが、これは東海道本線(現・根岸線)の桜木町駅構内で発生した事故です。

工事作業中のミスで、垂れ下がった架線に列車が接触。ショートを起こしたことから車両火災が発生し、106人が亡くなりました。

桜木町駅

当時の鉄道車両が、乗客が外に脱出しにくい構造だったことから「非常用ドアコック」が設けられるなどの影響をもたらしています。

次に洞爺丸事故ですが、これは青函連絡船・函館沖で連絡船が台風にあおられて沈没、なんと1,430人という世界史的にも屈指の被害者数が出た船舶事故です。

旧国鉄は船舶の運航も管理していたことから、次にご紹介する紫雲丸事故とあわせて、こうした事故も「国鉄」五大事故に入れられています。

次に宇高連絡船・女木島沖で発生した紫雲丸事故です。これは紫雲丸という船舶が貨物船と衝突し沈没したもので、166人が死亡

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