死者が100人を超える犠牲を生み出した昭和時代の「国鉄戦後五大事故」はなぜ起きてしまったのか? (1/4ページ)

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死者が100人を超える犠牲を生み出した昭和時代の「国鉄戦後五大事故」はなぜ起きてしまったのか?

100人以上が亡くなった「五大事故」

皆さんは、100人以上が亡くなった大規模な鉄道事故と聞くとどのような事例を思い浮かべるでしょうか。

比較的新しいものとして、2005年に発生したJR福知山線脱線事故を真っ先にイメージする人も多いかも知れませんね。この事故は、福知山線塚口駅と尼崎駅間で起きた脱線事故で、107名が死亡しています。

阪急電車から見た塚口駅の急カーブ

しかし実は、歴史を紐解いてみると、100名以上が亡くなる鉄道事故というのは決して少なくありません。このうち、特に、日本国有鉄道(旧国鉄)が日本の国有鉄道を運営していた時代に発生したもののうち代表的なものは国鉄戦後五大事故と呼ばれるカテゴリーに含まれます。

この、国鉄戦後五大事故とはどのようなものだったのでしょうか?

桜木町火災・洞爺丸事故・紫雲丸事故

旧国鉄が存在したのは1949(昭和24)年~1987(昭和62)年で、時系列で追っていくとこの間に発生した「国鉄戦後五大事故」は以下の通りになります。

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