裏切りや寝返りが続出!幕末期の東北・北陸諸藩による「奥羽越列藩同盟」が呆気なく消滅してしまった理由 (2/4ページ)

Japaaan

会津武家屋敷所蔵の松平容保像(Wikipediaより)

そこで、江戸城の無血開城が行われると、新政府軍は矛先を会津へと向けます。もともと松平容保は新政府に対して恭順の意志を示しており、東北諸藩は会津に対して同情的でした。しかしある事件をきっかけに、開戦は避けられない流れになります。

きっかけは、東北の鎮圧を任された奥羽鎮撫使の参謀である世良修蔵が、東北諸藩を敵視して挑発的な態度を取ったことでした。これに激怒した仙台藩士が世良を殺してしまったのです。

 世良修蔵(Wikipediaより)

こうして、開戦やむなしという流れができてしまい、東北諸藩はまず「奥羽列藩同盟」を結成。さらにそこへ北陸の諸藩を加えた「奥羽越列藩同盟」が成立したのです。

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