裏切りや寝返りが続出!幕末期の東北・北陸諸藩による「奥羽越列藩同盟」が呆気なく消滅してしまった理由 (3/4ページ)

Japaaan

最初からあった不安要素

しかし先に書いた通り、この同盟は最初から危ういものでした。参加した諸藩が、必ずしも一致団結していたわけだはなかったのです。

そもそも、参加した諸藩の中には、断り切れずに仕方なく参加した藩もありました。同盟を結んで新政府軍と衝突することに懐疑的だったものの、強硬論を説く藩に圧されて半強制的に参加したところもあったのです。

同盟のひとつである二本松藩の二本松城跡

例えば、越後国の新発田藩は仙台・米沢藩からの恫喝を受けて参加しただけでした。同藩はその後、新政府に弁明の書状を送っているほどです。

しかも、その仙台・米沢藩も一致団結していたわけではありません。仙台は主戦派でしたが、米沢は専守防衛派という違いがありました。こうした意見の相違があった上に、両藩は同盟の主導権争いで対立していたのです。

裏切り・瓦解・そして禍根

これでは結束も何もありません。奥羽越列藩同盟では裏切りが相次ぎました。

まず、結成から二か月ほど経った7月には、久保田藩(秋田藩)が寝返ります。同藩は勤皇思想が根強く、奥羽鎮撫総督府の征討命令を口実にして同盟から離反したのです。そして、旧幕府軍と戦闘状態に突入しました。

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