なぜそのような暴挙を…幕末、”偽官軍”の汚名で長州藩に滅ぼされた「花山院隊」の非業の末路 (2/3ページ)
そして慶応4年(1868年)1月、既に京都では薩長土肥の官軍が旧幕府軍を撃破していました(鳥羽・伏見の戦い)。
このまま時を空費しても始まりません。
「どうする?このままでは大義名分が……」
「止むを得まい。まずは我らが兵を挙げ、露払いと参ろうではないか!」
しびれを切らした佐田たちは、家理の到着を待たず花山院隊を自称。そして1月14日、無許可で挙兵したのでした。
御許山にひるがえる錦旗
挙兵した花山院隊は豊前国の四日市陣屋を襲撃、武器弾薬を奪取して火を放ちます。
陣屋の役人が逃げ出すとこれを追撃し、役人たちが逃げ込んだ東本願寺別院に放火する暴挙に及びました。
さらには宇佐神宮の奥院である御許山(おもとさん)へ移動し、錦旗を掲げ立て篭もります。
また別働隊が日田(ひた)陣屋を襲撃し、投獄されていた同志たちを解放しました。
かくして大暴れした花山院隊ですが、長州藩が彼らの勝手な行動を認めるはずもありません。