なぜそのような暴挙を…幕末、”偽官軍”の汚名で長州藩に滅ぼされた「花山院隊」の非業の末路 (3/3ページ)
長州藩は長府藩に命じて報国隊を派遣し、佐田らの勝手な挙兵を詰問します。
一、隊規に違反して脱走したこと。
一、朝廷の勅許を得ずに錦旗を奉持したこと。
一、許しを得ず長州藩の名を用いたこと。
……などなど。ただちに隊を解散して罪に服するように通告しました。
「お断り申す」
「ならば是非もなし」
交渉は決裂し、佐田はその場で斬殺。そして御許山への全面攻撃が開始され、花山院隊は壊滅してしまったのです。
終わりに
かくして志半ばに散ってしまった花山院隊。別行動をとっていた木付は捕らわれ、獄中で明治維新を迎えることになります。
以上が後世に伝わる御許山騒動・偽官軍事件の顛末です。
なぜ佐田たちは報国隊に属していながら、独自行動に走ったのでしょうか。単なる名誉欲だったのか、それとも他に意図があったのかも知れません。
長州藩・長府藩と力を合わせていれば明治維新に功を成すこともできたはずなのに、実に残念ですね。
幕末期には他にも多くの志士たちが奔走・活躍したので、彼らについても改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
長野浩典『花山院隊「偽官軍」事件:戊辰戦争化の封印された真相』弦書房、2021年10月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan