陰陽師でもないのに陰陽道の祭祀を執り行い、なんと死者を蘇らせてしまった平安貴族・藤原有国の奇跡 (2/3ページ)
兼家の後継者には長男の藤原道隆が選ばれたことで、有国のことを知った道隆は、有国を大膳職の秦有時の殺害を企てたとして官位を剥奪して朝廷を追放しました。
その後、道隆と道兼が没し、藤原道長が権力を有すると、道長の家司となります。
そして、59歳となる長保3年(1001)の時に、大宰大弐を経て従二位・参議に叙任され、以降は道長の側近として活躍しました。
有国はこうやって死者を蘇らせた
波乱万丈な人生を送った有国が死者を蘇らせたのは、自身が若い頃の時。
受領であった父・藤原輔道と共に九州に赴いた際、病気により父を亡くしてしまいます。
そこで有国は、人間の寿命を司る冥界の最高神でありながらも、陰陽道の主神である泰山府君(たいざんふくん)を祀った「泰山府君祭」を執り行ったところ、驚くことに輔道の生き返しに成功しました。
輔道はこの状況に驚きつつも、泰山府君祭による素晴らしい供物があったことから、閻魔大王より生き返してやるよう判断が下ったと有国に説明します。
続けて「陰陽道に精通していない有国が、陰陽道の最高奥義である泰山府君祭を行ったのは重罪に値するため、輔道の代わりに有国をあの世に送るべき」との意見があの世の官人より出たが、別の官人が「有国の行為は親孝行に当たるものだから、罰してはいけない」とのやり取りがあったことも伝えました。
このようにして有国は、罰せられることなく父を蘇らせる最大の親孝行を果たしました。