紫式部、結婚に踏み切る!ふられてもラブレターを送り続けた藤原宣孝の一途さ…「光る君へ」でどう描かれる? (2/4ページ)
宣孝はもともと筑前守(福岡県北西部)として赴任していましたが、彼が式部へのアプローチを始めたのは、九州から帰京した長徳元(995)年頃だと考えられています。
しかし、式部は親子ほど歳の離れた宣孝との恋愛に踏み切ることができず、その翌年、父の赴任先である越前へ、親子で旅立っています。
つれない式部紫式部が宣孝との恋愛に躊躇した理由は、年齢のことだけではありません。宣孝には正妻だけでなく複数の妻がおり、彼女たちとの間に少なくとも5人の子どもがいました。
さらに宣孝は女好きだったと言われており、女性関係の噂が絶えませんでした。
それだけを見るととんでもない男のようですが、それでも彼はマメな性格だったようで、式部を振り向かせるべく越前へ何度も手紙を送り続けています。
『紫式部集』には、京にいる宣孝と、越前にいる式部との間で交わされた和歌のやりとりが収められています。