紫式部、結婚に踏み切る!ふられてもラブレターを送り続けた藤原宣孝の一途さ…「光る君へ」でどう描かれる? (4/4ページ)

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コチドリ。紫式部は、宣孝を「湖で友を呼ぶ千鳥」にたとえた

これらの文面だけを読めば、全く脈無しのように感じられますね。とはいえ、本心から嫌っていれば返歌を贈ったりはしないでしょう。ある意味で、二人の関係は深まっていったと言えます。

寒さの厳しい遠国にいる式部は、もしかすると都から届く宣孝からの便りを待ちわびるようになったのかも知れません。

あるいは、どんなに冷たくあしらっても諦めず、恋の歌をせっせと送ってくる歳の離れた宣孝に、親しみを感じるようになったとも考えられます。

長徳3(997)年の晩秋から翌年の春にかけて、紫式部は父を越前に残してついに単身で帰京しました。武生で暮らしたのは1年半ほどだったと考えられています。式部が京を離れたのは、生涯でただ一度、この期間だけでした。

そして京都へ戻った彼女は、間もなく宣孝と結婚したのです。

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

トップ画像:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより

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