藤原定子の死後、一条天皇から寵愛された定子の妹「御匣殿(みくしげどの)」とはどんな女性?【光る君へ】 (2/3ページ)
長女の脩子内親王(しゅうし/ながこ)は5歳、長男の敦康親王(あつやす)は3歳。そして次女の媄子内親王(びし/よしこ)に至っては生後2日目という幼さです。
対してこの子たちを託された御匣殿はまだ17歳くらい。とても母親代わりが務まるものではありません。
それでも大切な姉の遺児であり、自身にとっても大切な姪・甥ですから、必死になって母親代わりを務めたのでしょう。
乳母たちのサポートも受けながら、幼子たちの面倒に奔走する御匣殿の姿に、一条天皇は心惹かれるようになりました。
御匣殿は美しく控え目な性格だったそうで、定子を喪った悲しみを埋めてくれる存在として、一条天皇は御匣殿を寵愛するようになりました。
やがて彼女は懐妊。ここで皇子を生んでくれれば、没落した中関白家復活のチャンスが訪れる……伊周や隆家は大いに喜んだことでしょう。
しかし長保4年(1002年)6月3日、御匣殿は一条天皇の子を身ごもったまま亡くなってしまいました。享年17〜18歳と言われます。
定子に続き御匣殿までも喪い、一条天皇の悲しみはいかばかりだったでしょうか。