明治時代、日本に「海水浴」を広めた初代軍医総監・松本順 〜海水浴は医療目的からレジャーに (2/3ページ)

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松本順(Wikipediaより)

松本は、幕末の長崎で蘭医のポンペから本格的に西洋医学を学び、我が国初の西洋医学に基づく公立病院である長崎養生所(後の長崎大学医学部)を設立した人物です。海水浴場の開設も、当初は医学的な効能に基づくものでした。

西洋医学に精通し、海水浴の効用を知っていた松本はある時、大磯に宿泊した際に照ヶ崎海岸を訪れ、それが理想的な海水浴の場であることに感銘を受けました。そこで、この地に海水浴場を開設することを地元の人たちに説いてまわります。

ところが、当時の照ヶ崎海岸は日本でも有数の漁場。「海水浴なんて広められては、漁に支障が出る」ということから、地元の漁師を中心に大反対されます。ところが、松本は漁師ら何とか説得し、照ヶ崎海岸を日本で初めて海水浴場として整備、プロデュースしたのです。

海水場の開設は、鉄道の発展も大きく後押ししました。松本が照ヶ崎を海水浴場として開いた1886年、横浜からの鉄道が、国府津まで延長することが決定されると、松本は伊藤博文に海水浴と国民の健康を力説し、大磯に停車場(駅)を設置するように働きかけました。

そして、海岸沿いには、旅館と病院を兼ね備えた「祷龍館(とうりゅうかん)」を建設。建設資金が不足すると、会員を募り、渋沢栄一や安田善次郎らの実業家たちが名を連ねました。

横浜の本牧十二天や富岡などでは、照ヶ崎よりも早くから海水浴が行われていたという記録もありますが、これはあくまで外国人が行っていたもの。日本人によって、自発的に作られた海水浴場は、この照ヶ崎海水浴場が初めてということになります。

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