明治時代、日本に「海水浴」を広めた初代軍医総監・松本順 〜海水浴は医療目的からレジャーに (3/3ページ)
当初の照ヶ崎海水浴場には、女性の姿も見られました。当時使用されていた水着は、体のほとんどを覆うようなものでしたが、それでもいったん水に入ったりなどして濡れてしまうと、体の線がはっきりとでてしまうようなものでした。
水着姿の女性が話題となると、当時の神奈川県は風紀上よろしくないとこれを問題視。その結果、1894年7月、県内の海水浴場に男女の別が設けられるようになりました。
松本は、神奈川だけではなく、他の地域でも海水浴場の開設に関わっていたようです。
例えば1888年5月、松本は新潟県柏崎にいた医者の友人を訪れていますが、その際、地元の海岸にも出かけ、海水浴の医学的効能を地元の人々に伝えたとされています。
それからほどなくして、北越鉄道が開業し、1902年に鯨波海岸に停車場ができると、その周辺に旅館やホテルが開業し、長岡や新潟からも多くの海水浴客が訪れるようになりました。こうして、柏崎は、日本海側海水浴場発祥の地となりました。
松本は、当時はまだ日本で珍しかった牛乳の飲用を勧めたり、長野県湯田中温泉においては、温泉入浴法を示したりなど、民間人を対象に啓発的な活動を行っていたようです。
医療行為の一環として始まった海水浴は、その後レジャーの一環として、今も多くの人々に親しまれています。
参考:
「知ってなるほど明治・大正・昭和初期の生活 海水浴の誕生」アジア歴史資料センター 小口千明「日本における海水浴の需要と明治期の海水浴」『人文地理』第37巻3号 1985日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
