大河ドラマ「光る君へ」で金田哲が演じる藤原斉信の弟・藤原道信とは何者か?その生涯をたどる
NHK大河ドラマ「光る君へ」皆さんも観ていますか?筆者も毎週楽しみに、平安時代の王朝文化を堪能する日々です。
劇中では多くの貴族たちが登場しますが、あまりに多いので全員は登場し切れません。
今回は四納言の一人である藤原斉信(ただのぶ)の弟・藤原道信(みちのぶ)を紹介したいと思います。
果たして道信は、どんな生涯をたどったのでしょうか。
藤原兼家の養子となる藤原道信は天禄3年(972年)、藤原為光と藤原伊尹女(これただのむすめ)との間に生まれました。
15歳となった寛和2年(986年)に伯父である藤原兼家に養子入りします。
同年に元服して侍従(じじゅう)に任じられ、また従五位上に叙せられました。養父に可愛がられていることが察せられます。
その後も翌寛和3年(987年)には右兵衛佐(うひょうゑのすけ)・正五位下、永延2年(988年)に左近衛少将(さこのゑのしょうしょう)・従四位下と順調に出世していきました。
また永延3年(989年)に近江介(国司の次官)と但馬権守(国司の長官に準じる役職)を兼任しています。
正暦元年(990年)に養父・兼家が亡くなると少しだけ出世のペースが落ちたものの、ほとんど誤差の範囲でしょう。
武官と国司を歴任20歳となった正暦2年(991年)には、左近衛中将(さこのゑのちゅうじょう)となった道信。
武官を歴任しているから武骨な人物なのかと思いきや、歴史物語『大鏡』によれば奥ゆかしい性格で、和歌をよくしたそうです。
正暦3年(992年)には実父の為光が世を去ります。同年に美濃権守を兼任しました。
正暦5年(994年)に従四位上となりましたが、同年7月11日に23歳という若さで世を去ってしまいます。
これからまだまだ活躍したでしょうに、喪われた前途が惜しまれてなりませんね。
なお正室には藤原遠量女(とおかずのむすめ)を迎えていましたが、子供はいなかったようです。
歌人として名声を勝ち取るここまで駆け足で藤原道信の生涯をたどってきました。
先ほど和歌に堪能であることを紹介しましたが、小倉百人一首にあるこの和歌をご存知の方は多いのではないでしょうか。
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな
※『後拾遺和歌集』恋二672より【意訳】夜が明けてもまた日が暮れるのだから、また貴女に逢えると解ってはいる。解ってはいるけど、いっときでも貴女と離れ離れになるのが辛くて、朝を恨んでしまうのだ……。
この和歌をはじめ『拾遺和歌集』など勅撰和歌集に49首が採録されるほどの歌人でした。
また家集『道信朝臣集』があり、道信の才智を現代に伝えています。
そして中古三十六歌仙の一人として後世に伝わり、今も歌人たちにとって憧憬の的となっていることでしょう。
終わりにNHK大河ドラマ「光る君へ」には登場の機会がなかった藤原道信。残念ながら次の平安時代作品に期待したいところです。
「光る君へ」では、百人一首に登場する名高い歌人がこれからも活躍するはずなので、これからも注目していきましょう!
※参考文献:
山本信吉『摂関政治史論考』吉川弘文館、2003年6月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan