伊周・隆家兄弟の没落確定…誤解から放たれた矢が花山院に!大河ドラマ「光る君へ」5月12日放送振り返り (3/5ページ)
合戦は道長方の勝利または優勢に終わったものの、数日後にお礼参りで道長は随身(ずいじん。側近)を殺されてしまいました。
ちなみに当時、京都の治安を守る検非違使別当(けびいしべっとう。長官)は隆家だったそうです。
現代で言えば警察のトップが、私怨で総理大臣に戦争を仕掛けるような感覚でしょうか。こんな人物に治安を任せていたのでは、治まるものも治まらなさそうですね。
平安時代とは言え、まったく合戦がなかった訳ではありませんでした。
藤原朝経は本当に酒乱だったのか?
藤原行成(渡辺大知)の諜報活動?によって判明した、藤原朝経(あさつね)が酒乱だという事実……劇中ではそう描かれていましたが、本当に朝経は酒乱だったのでしょうか。
藤原朝経は長徳元年(995年)3月10日に疫病で没した藤原朝光(あさみつ)の子で、道長から見て従甥(いとこおい)に当たる人物です。
調べてみたところ酒乱だったという記録はなさそうですが、父の死後間もなく伊予権介(いよごんのすけ。国司次官)となって以降、しばらく昇進していません。
これは単に道長派に属していなかったためと思われますが、劇中では出世がとどこおった理由を酒乱のためという設定にしたのでしょう。
(もし朝経が酒乱だったとか、酒で失敗したといった記録をご存じの方は、どうかご教示ください)
なお朝経はその後ジワジワと昇進し、最終的には正三位・権中納言となっています。