江戸時代に始まっていた日本の近代化・工業化!明治維新の原動力にもなった産業発展の歴史を紐解く (3/4ページ)

Japaaan

デメリットの解決策、そして明治維新へ

また、生産体制の変化に伴って技術も進歩しました。職人の手作りから、大型の織り機である「高機」や水車式の「水力八丁車」などを使う体制に移行していったのです。

これはまさに、資本主義による工業化の萌芽だったといえるでしょう。

当初、工場制手工業は綿織業が盛んな大坂や尾張都市部でみられましたが、幕末までには地方の農村部にまで小工場が建てられるようになりました。

その結果、日本では明治維新を待たずに工業の下地ができることになったのです。

ただ、こうした産業の発展にはデメリットもありました。賃金労働者として雇われた農民が、儲からない農業を見限り(いつの時代も農業は儲からないものです)田畑を捨てるケースが増加。耕作者が減少して、農村が荒廃し始めたのです。

また領主層からすれば、工業化の進展は社会構造を変化させる危険がありました。富裕層以外が富を手にすれば、権力を持つことにつながるからです。

この問題に対する諸藩の対応は、大きくふたつに分かれました。農村復興政策によって旧来の社会へ回帰するケースと、工業化の流れに乗り、藩営工業の設立や特産品の専売制で富を増やすケースです。

このうち、後者を選んだのが薩長で、薩摩藩は砂糖の専売制や西洋式工場群の建造を推し進めました。また長州藩は紙やロウソクの量産・専売を通じて、財政を潤しました。

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