仙人に、おれはなる!大空を飛びたすぎて仙術修行にハマってしまった平安貴族・藤原友人の生涯 (4/4ページ)
……從五位下藤原朝臣友人爲讃岐守……
※『日本後紀』巻廿一 弘仁2年(811年)5月14日条
その後は相模守(さがみのかみ)・従四位下(じゅしいのげ)まで昇進し、弘仁13年(822年)に56歳で卒去したのでした。
終わりに
……相模守從四位下藤原朝臣友人卒。右大臣從一位是公之男、從三位乙麻呂之孫。爲人■々不護禮度。雖好仙道、控地不登。大同之初、縁坐伊豫親王事、左降下野國守。弘仁年中、有恩入京、授從四位下、俄任相模守。病發卒官。年五十六。
※『日本後紀』弘仁13年(822年)8月16日条
【意訳】相模守で従四位下の藤原朝臣友人が卒去した。右大臣で従一位の藤原是公の息子で、従三位の藤原乙麻呂の孫である。人となりはアレで礼節を守らなかった。仙道を好んだが、天を舞うことはなかった。大同年間のはじめ、伊予親王の事に連座して下野守に左遷される。弘仁年間に入って恩赦を受けて再び京に入った。従四位下を授かり、にわかに相模守に任官する。病を発して官を辞し、56歳で世を去った。
今回は空を飛びたかった平安貴族・藤原友人の生涯をたどってきました。性格の悪さは、自分の生まれから前途を悲観したor周囲からイジメられたせいかもしれませんね。
友人が仙術修行にハマったのは、人智を越えた力で閉塞感を打破したかった思いの表れとも考えられないでしょうか。
空を飛ぶ以外にも仙術修行を試してみたのか、記録があればぜひ知りたいですね。
※参考文献:
森田悌『日本後紀 中 全現代語訳』講談社学術文庫、2006年11月 森田悌『日本後紀 下 全現代語訳』講談社学術文庫、2007年2月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan