紫式部が藤原道長の娘の懐妊から出産までを克明に記録。重要史料『紫式部日記』ができるまで【光る君へ】 (2/4ページ)
12歳での入内から8年が経っていました。これは彰子にとっても吉報でしたし、その父である藤原道長にとってはなおさらです。
翌寛弘5 (1008)年4月、懐妊5カ月となった彰子は、一条天皇の内裏から道長の邸宅である土御門殿へ里帰りし、女房の式部も付き従いました。
この時から、彰子一行が内裏へ戻る11月までの間、紫式部はこの土御門殿で『源氏物語』を書き進めていったと考えられています。
そしてもう一つ、紫式部が始めたことがあります。それは、中宮・彰子の懐妊から出産、皇子誕生にまつわる慶事などを詳細に記録することでした。
『紫式部日記』の誕生この頃から式部が書き留めていた材料を、寛弘7(1010)年秋頃に自身で整理してまとめたものが『紫式部日記』だと考えられています。
現在に伝わる『紫式部日記』は、中宮・彰子が里帰りした土御門殿の初秋の様子を伝える次の一節で幕を開けます。
秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、 いはむ方なくをかし
(秋の気配が深まるにつれて、土御門殿のたたずまいは、言葉にできないほどの趣がある)
京都御苑寺町御門。土御門殿は現在の京都市上京区京都御苑にあたる
この後の9月11日、彰子は無事に敦成親王(後の後一条天皇)を出産。