長寿を全うした『光る君へ』の主要キャラたち!「源氏物語」完成後の紫式部の消息は?何歳まで生きた? (3/4ページ)

Japaaan

紫式部が名前の由来とされるムラサキシキブ

また、その一方で道長は、式部が実家から取り寄せてしまっておいた『源氏物語』の草稿を、式部の留守中に無断で持ち出し、中宮の妹である妍子に与えてしまいました。それを知った式部は、

よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし
(まずまずに書き直したものは分散し、草稿はこうして伝わってしまったのだから、残念な評価を受けるのでしょう)

とぼやいています。

この時の冊子作りは規模が大きく、一条天皇への手土産であったことなどから、『源氏物語』の主人公である光源氏の生涯、幻巻までを含む四十一帖一揃いだったかと思われます。

その後の式部の消息は?

さて、ところでこうして『源氏物語』が日の目を見て、その後の紫式部はどのように生きたのでしょうか。

彰子の女房として仕えた紫式部の動静を伝える『紫式部日記』は、敦成親王誕生を主とする「前半記録体部分」、と、清少納言・和泉式部などの批評や自身の生い立ち、心境などを綴った「消息体部分」、そして年月日が記されていない「年次不明部分」、彰子の第二子・敦良親王誕生を主とする「後半記録体部分」に分類されます。

この「後半記録体部分」はごく短いもので、寛弘7 (1010)年元日から1月15日までの記録です。残念ながら『紫式部日記』を参考に、この後の紫式部の確実な消息を突き詰めるのは難しそうです。

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