大河ドラマ「光る君へ」では割愛…幼い頃から母親代わりだった紫式部(まひろ)の姉とは? (2/3ページ)

Japaaan

手紙の中では紫式部が彼女を姉君と書き、彼女は紫式部を中の君(次女≒妹の意味)と書いて、親しく文通していた。

しかし紫式部は父に従って遠く北国の越前へ赴くことになる。

互いに別れを惜しみながら、紫式部はこう詠んだ。

「春になって北へ飛んでゆく雁(渡り鳥)に、言伝しておくれ。『雲を通じて、お互いの手紙を絶やさぬように届けておくれ』……と」

北へ飛んでゆく雁の群れ(イメージ)

……この和歌は『新古今和歌集』離別859に収録され、今も人々の哀情を誘ってやみません。

この記述から、為時長女は為時の越前行きが決まる長徳2年(996年)より前に亡くなっていたことが分かります。

紫式部が天禄元年(970年)生まれとすると20代半ば、その実姉であれば30歳前後と考えられるでしょう。

当時であればとっくに婿をとっている年代ですが、特に結婚した記録がないということは、ずっと独身であった可能性も考えられます。

永らく不遇であった為時の婿になりたいという物好きもそうはいないでしょうし、あるいは病弱だったのかも知れません。

不遇の父を支えながら、妹弟たちの母親代わりとして懸命に生きた日々については謎の部分が多く、今後の究明がまたれます。

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