邪馬台国の場所「九州説vs畿内説」はもう古い?邪馬台国と倭の情勢を国際関係から読み解く【後編】 (3/3ページ)
鳥居原狐塚古墳の対置式神獣鏡。「赤烏元年」の銘がみえる(Wikipediaより)
渡邉義浩の『魏志倭人伝の謎を解く三国志から見る邪馬台国』では、倭の中で一定の勢力をもつことになった邪馬台国が、勢力を拡大してきた魏と結ぶことで権威を高めようとした可能性を示唆しています。
つまり、当時の倭(日本)の諸国は呉との交流が深かったものの、邪馬台国はそれらの諸国に対抗して力を持とうと、魏との交流を深めようとしたのかも知れません。
邪馬台国は九州にあったのか近畿にあったのか、という議論にとらわれず、当時の国際関係の中での日本の状況を俯瞰的に捉える視点が大切だと言えるでしょう。
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社
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