「武士」のルーツは”地方の無法者”ではない!実は朝廷や皇族と密接な関係にあった武士の実態【後編】 (2/3ページ)
よって現代の教科書では、朝廷・貴族は武士を積極的に「侍」「武者」として奉仕させるようにし、また地方の「兵」も館侍・国侍として国司のもとに組織化し、諸国の「追捕使」や「押領使」に任命した、と説明します。
ちなみに追捕使とは盗賊を捕らえて反乱を鎮める警察官のような役割であり、押領使は内乱などに際して兵士を統率する指揮官のような役割のことです。
「御恩と奉公」ではないが…また地方でも、国司に仕える武士たちは有職故実や年中行事にも参加するようになり、神事の相撲に武士が奉仕するということも始まりました。
こうした背景もあり、従来の「武家の棟梁=無法者のリーダー」というイメージも、現在の研究では変わりつつあります。
彼らはもともと貴族出身であり、前述したように官位・官職を得て都で生活をしており、必ずしも地方に土着していたわけではありませんでした。
よって、後年の武士たちの「御恩と奉公」に基づく強固な主従関係は未発達でした。

