私を一番に愛して!主従を越えて藤原定子に一番の愛情を求めていた清少納言【光る君へ】 (3/3ページ)
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定子の崩御後長保2年(1001年)12月16日に定子が防御すると、清少納言の宮仕えは終わりを告げます。
内裏を去った清少納言の消息は不明、俗説では惨めに暮らしたエピソードが創作されました。
「なけなしの教養をひけらかし、調子に乗った恥知らずの末路はこのザマだ!」
そんな心ない声が聞こえるようですが、実際には息子たちが健在だったため、暮らしには困らなかったでしょう。
没年も不詳、どのような最期を遂げたかも分かりません。
ただ、清少納言が「定子にとって一番でありたい」と愛情を求めた日々は、彼女にとって1番大切な思い出だったのではないでしょうか。
※参考文献:
河合敦『平安の文豪 ユニークな名作を遺した異色の作家たち』ポプラ社、2023年11月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

