実は「独眼竜」ではなかった伊達政宗!なぜ隻眼のヒーローとして知られるようになったのか? (2/4ページ)

Japaaan

文化人・頼山陽が、漢詩の中で政宗を独眼竜・李克用になぞらえたことで、政宗=独眼竜のイメージが世間に広く知られるようになったというのが、現在最も有力な説です。

頼山陽(Wikipediaより)

ただ、それより前から政宗を独眼竜と結びつける考えがあったという説もあるので、ここは断定はできません。

では、伊達政宗のトレードマークである「刀を鍔を使った眼帯」のイメージは、いつ生まれたのでしょうか。

ドラマのヒットでイメージが定着

彼のトレードマークでもある眼帯のイメージは、昭和の時代劇の影響で広まったものです。かなり最近なのです。

政宗が刀の鍔の眼帯をつけていたという情報は、戦国時代どころか、江戸時代の史料にも記されていません。明治時代以降、政宗を題材にした娯楽作品が数多く作られるようになりましたが、その流れで昭和になってから創作されたイメージに過ぎないのです。

まずその先駆となったのは、昭和17年(1942)に制作された時代劇映画『獨眼龍政宗』でした。ここで初めて眼帯姿の伊達政宗が登場したのです。

しかしこのときは眼帯のイメージは定着せず、80年代初期までは、政宗は片目の目蓋を閉じた姿で描かれることがほとんどでした。

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