あの佐々木兄弟も子孫!源倫子の父・源雅信から鎌倉御家人までの系図を『尊卑分脈』でたどる【光る君へ 後伝】 (2/4ページ)
菊池容斎『前賢故実』より
延喜20年(920年)生~正暦4年(993年)7月29日没
郢曲笙笛和琴鞠歌新古今一新勅撰一作者
號一條左大臣 又號鷹司
正二 贈正一位
母時平公女※『尊卑分脈』より
【意訳】郢曲(えいきょく。俗謡)・笙・笛・和琴・蹴鞠に優れた。
和歌にもひいで、『新古今和歌集』と『新勅撰和歌集』に一首ずつ採録されている。
人々から「一条左大臣」あるいは「鷹司殿」と呼ばれた。
正二位まで昇り、死後に正一位を贈られる。
母親は藤原時平(ときひら)の娘。
以下は直系のみをたどっていきましょう。
源扶義(すけのり)天暦5年(951年)生~長徳4年(998年)7月25日没
弁 五蔵 頭
佐々木祖 中宮権大夫 右中弁大蔵卿
参木 左大弁 正四下※『尊卑分脈』より
【意訳】弁官・五位蔵人・蔵人頭を歴任した。
佐々木氏の祖先であり、中宮権大夫・右中弁・大蔵卿・参議・左大弁など要職を務める。
正四位下まで昇った。
貞元元年(976年)生~長保5年(1003年)8月7日没
兵庫 従五下
※『尊卑分脈』より
【意訳】兵庫寮に勤め、従五位下に昇る。
源章経(あきつね)長保2年(1000年)生~天喜6年(1058年)没
名前のみで記述なし。他文献によると別名は源義経(よしつね)、兵部丞を勤め従五位下まで昇ったという。
源経方(つねかた・佐々木経方)生没年不詳
住近江国佐々木
従五下 號源大夫※『尊卑分脈』より
【意訳】近江国佐々木に移住し、佐々木の苗字を名乗った。
従五位下に叙せられ、源大夫(げんのたいふ)と称する。