大久保利通は本当に悪徳政治家なのか?実は清廉な人柄だったことを示す数々の証拠がこちら (2/5ページ)
にもかかわらず、大久保とともに「維新の三傑」に挙げられる西郷・木戸と比べると人気はかなり低いと言えるでしょう。
それは、大久保は権力を握ると私利私欲で国を動かし、政府内外から反発を受けたというイメージが先行していたからです。いわば彼を悪徳政治家扱いする見方が一般的だったのです。
例えば、彼は「とっつきにくい」人間だったという証言を、多くの政府高官が残しています。官庁内で大久保の靴音が聞こえると、それまで雑談をしていた職員たちが私語をやめたというので、近づきがたい人物だったことは間違いないでしょう。
不人気の理由そんな「とっつきにくい」人物像もあってか、大久保は在世中から不人気でした。しかしそれは、いくつかの特殊な理由が考えられます。
例えば西南戦争で盟友の西郷を亡き者にしたことや、政府が帯刀と禄の支給という士族の特権を奪ったこと、攘夷を掲げたにもかかわらず維新後は欧化政策に転換したことなどが影響しているのでしょう。
政府のトップだったからこそ、あらゆる政策への批判が大久保にのしかかったと言えます。
これらの行動は、早期に近代化・中央集権化を実現することが目的だったと考えられます。