大久保利通は本当に悪徳政治家なのか?実は清廉な人柄だったことを示す数々の証拠がこちら (3/5ページ)
旧習の撤廃や殖産興業政策は、そうした危機感の表れでした。
彼は岩倉使節団の一員として欧米に渡っており、イギリスでは工業力を、フランスでは文明の成熟度を、ドイツでは新興国ならではの勢いなどを学んでいます。
この視察によって西洋文明の先進性に衝撃を受けた大久保は、このままでは日本が欧米の植民地になるという危機感を抱いていたのです。
礼儀正しく子煩悩では、そうした従来の大久保利通のイメージは、現在はどのように変わっているのでしょうか。
まず、彼がとっつきにくいキャラクターだったという点について。彼は確かに厳格な性格でしたが、単に勤務態度が厳格なだけで、他人に対して攻撃的だったわけではありません。
むしろ、部下であっても「さん付け」で呼び、礼儀を忘れずに接していたともいいます。仕事では厳しい顔を見せていた一方で、情に厚く部下を気遣う人だったという証言も数多く残されているのです。