「島流し」でも酒池肉林のやりたい放題!実際のところ島流しされた後の生活はどうだったのか? (3/3ページ)

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※参考

蟄居、島流し、切腹など江戸時代の武士への刑罰にはどんなものがあったの?

江戸時代の島流しが本格化したのは、8代将軍・徳川吉宗が公事方御定書で法制化したことからです。また、当時は島流しではなく「遠島」と呼ばれ、場合によっては死罪よりも重い罪となります。

島流しとなった者は縄で縛られ、流人船と呼ばれる船に乗せられます。

船内には受刑者がぎゅうぎゅうに詰められ、疫病が蔓延することでクラスターを引き起こすことも多く、生きて島までたどり着けるのは半分ほどでした。そのため、流人船は「地獄の船」と称されることも。

たとえ生きて辿り着いたとしても迎えの船も来ず、脱出不可能なサバイバル生活を送る道しか残されていません。

そのため島流しされた者の多くが、飢餓で死んでいったのです。

時代によって雲泥の差がある「島流し」、皆様もどうせなら、平安時代の権力者になって流されてみたいと思いませんか?

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