【光る君へ】相次ぐ和泉式部(あかね)の不倫、不倫、不倫…それでも離婚しなかった夫・橘道貞の生涯 (3/4ページ)
他にも橘通道(ゆきみち)や女子(藤原資業室)が生まれているものの、母親は誰か分かりません。
長保元年(999年)には和泉守(いずみのかみ)と太皇太后宮権大進(たいこうたいごうぐうごんのだいじょう/だいしん)を兼ねています。
和泉守とは現代の大阪府南部に当たる地域の国司長官、太皇太后宮権大進とは太皇太后(先々代以前の皇后陛下)に仕える三等官でした。
長保元年(999年)に太皇太后である昌子内親王(しょうし/まさこ。冷泉天皇后)が病を得たため自宅へ迎え、一家を挙げて看病しました。
また和泉守として現地へ単身赴任していた頃も互いに文を取り交わしているため、この頃はまだ(少なくとも表面上は)夫婦円満だったと考えられます。
なお、昌子内親王は長保元年(1000年)12月1日に道貞邸で崩御されました。
相次ぐ妻の不倫。それでも離婚しなかった理由は?
やがて和泉式部が為尊親王(ためたか。冷泉天皇第三皇子)と恋に落ちますが、それでも道貞は離婚せず、夫婦関係を維持しています。
長保4年(1002年)6月13日に為尊親王が薨去すると、今度はその弟である敦道親王(あつみち。冷泉天皇第四皇子)と恋に落ちてしまいました。
その敦道親王も寛弘4年(1007年)10月2日に薨去してしまいます。
他にも源雅通(まさみち)や治部卿(じぶのきょう。源俊賢か)との恋愛関係も噂されるなど、とにかく華やかな妻だったようです。
夫としてはほとほとうんざりしたでしょうが、それでも離婚はしませんでした。