足利尊氏は武家政権を樹立するつもりはなかった!?善意が裏目に出て南北朝の対立に至った経緯 (3/3ページ)

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権威の正当性を示すためには、どうしても後醍醐との和睦が欠必要でした。

後醍醐はこれに応えて京へ戻り、三種の神器を北朝に渡しています。

尊氏が北朝を支持したのは、朝廷の混乱を防止するためでした。この頃、朝廷の儀式は後醍醐の不在により実施が難しくなっていました。そのまま天皇不在が長期に及べば、朝廷が機能不全に陥るおそれがあるため、天皇を擁立したわけです。

足利尊氏像

尊氏からすれば、北朝を優遇するつもりはありませんでした。

彼は光厳の院政開始を後押ししましたが、後醍醐の帰還後には、後醍醐の連なる皇統から天皇を即位させようとしていました。両者から交互に天皇を即位させることで、対立を抑え込もうとしたのです。

しかし後醍醐は吉野へ逃亡し、尊氏の目論見ははずれます。こうして、半世紀以上も朝廷が二分する事態が続いたのです。

つまり足利尊氏は、もともとは善意で天皇擁立を行ったわけですが、これが裏目に出て南北朝の対立へと至ってしまったということです。

参考資料:日本史の謎検証委員会・編『図解最新研究でここまでわかった日本史人物通説のウソ』彩図社・2022年

画像:photoAC,Wikipedia

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