「暴れん坊将軍」こと8代将軍・徳川吉宗は本当に名君だったのか?〜 享保の改革の光と影 (2/4ページ)

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また家臣と庶民には豪華な服装や食事を禁止し、吉宗も率先して質素な生活を行い、部下の模範となりました。

こうして幕府財政を再建したことで、吉宗は高く評価されてきました。しかし、幕府にとってプラスに働いた一方で、改革によって負の影響を被った人々も多く存在しました。改革を機に、庶民の生活が悪化したのです。

強まる農村の反発

吉宗は、改革の一環として新田開発を行いましたが、開発可能な土地は家継の代までで開墾され尽くしていました。

残っていたのは、開発不可能とされた土地や、放置された土地ばかり。それを無理やり開墾させたので、農民には大きな負担がのしかかります。中には、薪と肥料の調達場所まで田畑にされたことで、かえって生活が困窮した村もあったとか。

さらに庶民にとって痛手となった政策がありました。幕府が年貢の徴収量を増やすために、徴収方法を収穫高に比した検見法から、比率を一定にした定免法に変更したのです。

また、あわせて凶作の場合に実施していた減免制も廃止。こうして幕府の財政は潤ったものの、農村部へのダメージは大きなものがありました。

こうなると、民衆の不満はいやが上にもくすぶっていきます。畑の租税増加河川敷の土地課税の実施もあいまって、吉宗に対する反発は強まりました。

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