「暴れん坊将軍」こと8代将軍・徳川吉宗は本当に名君だったのか?〜 享保の改革の光と影 (3/4ページ)
その結果が一揆の増加です。1700年代初頭には約四十件程度だった一揆が、吉宗の時代には最大八十件を超えているのです。
都市部に広がる混乱しかも問題は、農村だけにとどまりませんでした。
都市部では、徴収量の急増によって米の価格が暴落し、経済が低迷します。
その対策として、吉宗は大坂堂島に米市場を開いて米価の調整を図ったのですが、武士に有利なように米価を操作したため逆に高騰してしまったのです。享保の飢饉と呼ばれる凶作の影響もあって、米相場は不安定なままでした。
さらに、遊郭や芝居を禁止して倹約を強制し、出版物を規制したことも庶民にとっては不満の種でした。
こうして見ていくと、幕府にとって有益な政策だった享保の改革は、庶民生活の締めつけによって成り立っていたと言っても過言ではないでしょう。