大河ドラマ「光る君へ」の物語にどう絡むのか?興福寺の僧侶・定澄(赤星昇一郎)と慶理(渡部龍平)とは何者? (2/3ページ)

Japaaan

興福寺の別当は大和国内において絶大な影響力をもっており、長保元年(999年)には朝廷に対して「大和国内の賊を追捕するため、検非違使を派遣」するよう要請しています。

果たして朝廷から派遣された検非違使について綱紀粛正を命じられました。要は指揮権限を与えられたようなものです。

興福寺別当とは、大和守(大和の国司)をもしのぐ権威として国内を統治していました。

長保4年(1002年)には内裏の清涼殿で初めて最勝講が執り行われた際の講師を務め、長保5年(1005年)には権大僧都(ごんのだいそうず)に昇ります。

大和守との抗争

大和守解任を求め、京都洛中へ乗り込む僧兵たち(イメージ)

かくして大和国の実質的な統治者として権勢を誇った定澄。

「興福寺とは争うな」

それが大和守はじめ官人たちにとって暗黙の了解でしたが、寛弘3年(1006年)に着任した大和守・源頼親(よりちか)は違いました。

源頼親は清和源氏の流れをくむ源満仲(みつなか)の子。後に藤原道長から「殺人上手」と評された武勇の士です。

着任から間もなく頼親は興福寺と所領争いを起こし、互いに一歩も引きません。

定澄は朝廷の藤原道長に対して頼親の解任を要求しました。

しかし道長は気乗りがしなかったのか、なかなか解任には至りません。

業を煮やした定澄は、寺僧ら二千余人を動員して京都洛中へ殴り込む騒ぎを起こしました。

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