どんだけ大きいの!清少納言『枕草子』より、大木を扇にするほど?の高身長だった僧侶・定澄【光る君へ】 (2/3ページ)
権中将「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせばや」と、のたまひしを、山階寺の別当になりてよろこび申す日、近衛づかさにてこの君のいでたまへるに、高き屐子(けいし)をさへはきたれば、ゆゆしう高し。出でぬる後に「など、その枝扇をば持たせたまはぬ」と言へば、「もの忘れせぬ」と笑ひたまふ。
「定澄僧都に袿(うちき)なし、すくせ君に衵(あこめ)なし」と言ひけむ人こそ、をかしけれ。
※清少納言『枕草子』より
【意訳】時は長保2年(1000年)3月、仮御所の東を北の陣と呼んでいました。
そこには大きな楢(ナラ)の木(一説に梨の木)が植わっており、人々は「幾尋(いくひろ)あるだろうか」と口々に言い合います。
ある時、権中将(ごんのちゅうじょう)こと源成信(なりのぶ)が軽口を飛ばしました。
「この木を根元からぶった切って、定澄僧都(~そうず)の枝扇にしたらよかろうな」
枝扇(えだおうぎ)とは木の枝をそのまま扇のようにあおぐこと、またはその枝を言います。
木を丸ごと扇のようにあおげるほどの大男。もちろん冗談ながら、それだけ定澄は高身長でした。
やがて月日は流れ、定澄が山階寺(興福寺)の別当となった祝いの儀式で、成信は定澄の姿を目にして驚きます。
ただでさえ背丈が高い定澄が、さらに屐子(けいし)を履いているものだから、見上げて首が痛くなるほどでした。
いやはやこれは……成信が面食らっていると、清少納言がやってきてからかいます。
「なぜ枝扇を定澄僧都に貸してあげなかったのですか?」
これを聞いて成信は苦笑い。「まったく、余計なことばかり覚えておるな」と。
世に「定澄僧都に袿(うちき)なし、すくせ君に衵(あこめ)なし」と言うが、まったくその通りだと思う。
……ということでした。