すべては占いで決める!戦国時代に出陣の日時などを占いで決めていた呪術師「軍配者」とは何者?【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

石宗は、『大友興廃記』に「誠に真俗倚頼、文武の達人なり」と評されるほど文武両道を極めた武士であり、そして軍配者でした。

宗麟の信頼も篤かったとみられますが、それまで大友氏は連戦連勝であったこともあり、どうやら彼は進言を無視したようです。

宗麟自ら総大将となって日向に侵攻したところ、いわゆる耳川の戦いで薩摩の島津義久に敗れてしまったのはご存じの通りです。

島津も占いをしていた

一方、大友氏と戦った薩摩の島津氏にも、川田義朗という軍配者がいました。

義朗もまた、主君の島津義久から出陣の日取りを占うように命じられています。それだけでなく、義朗は戦陣作法にも通じていたようで、勝ち鬨なども執り行っていました。

島津義久像(東京藝術大学大学美術館蔵・Wikipediaより)

勝ち鬨というのは勝利をおさめたときなどに行われる作法ですが、天正2年(1584)の沖田の戦いで勝ち鬨を執り行ったのも、義朗だったと伝わっています。作法には細かい決まり事があり、他の人が簡単に行えるものではありませんでした。

また、義朗は加持祈祷にも通じていたようで、『大友興廃記』によると義朗は「神変奇特の事ども多かりき。たとへば、我ちからにはさもなり難き城頭は天火を祈り下し焼却する神変あり」などと記されています。

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