豊臣家と徳川家で板挟み状態!豊臣秀吉に見出された名将・片桐且元の波乱に満ちた人生 (2/3ページ)
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返答は庭への放尿!せっかくの出世を断った「賤ヶ岳の七本槍」平野長泰かく語りき 行政面でも強みを発揮豊臣政権では、片桐且元は武将としてだけでなく行政面でも才能を発揮しました。京都の「方広寺」に大仏殿を建設することになった際も、且元は普請奉行(建設作業を監督する役割)に選ばれています。また、検地にも携わりました。
豊臣家と徳川家の戦争回避に奔走関ヶ原の戦い以降、片桐且元は豊臣家と徳川家の調停役を担います。板挟み状態の且元が巻き込まれてしまったのが、「方広寺鐘銘事件」です。
滅亡はやっぱり豊臣氏のミスだった?あの方広寺鐘銘事件の最新の解釈は且元が奉行を務めた際に一度完成していた方広寺の大仏と大仏殿ですが、地震で倒壊。再度建設が始まり、大仏殿におかれる梵鐘も完成しました。
しかし、この梵鐘に書かれていた文字が豊臣家を滅亡と導いてしまうのです。

