豊臣家と徳川家で板挟み状態!豊臣秀吉に見出された名将・片桐且元の波乱に満ちた人生 (1/3ページ)
日本史を代表する人物といえば、戦国の三英傑と呼ばれる織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ではないでしょうか。そのうち、豊臣秀吉と徳川家康に大きく関わった人物の一人に片桐且元(かたぎりかつもと)がいます。
名将として知られ、戦争回避などに尽力した彼ですが、その人生は波乱に満ちていました。
片桐且元の誕生、そして若年期
片桐且元は、1556年浅井氏配下の片桐直貞(かたぎりなおさだ)の長男として生まれました。小谷城の戦いをきっかけとして、浅井氏が滅亡すると、且元は豊臣秀吉(当時、羽柴秀吉)に仕官するようになります。
賤ヶ岳七本槍の一人として名をはせる1583年、信長の後継者争いに端を発した「賤ヶ岳の戦い」が起きます。秀吉と柴田勝家の戦いで、秀吉が勝利。この戦いで特に活躍を見せた7人を「賤ヶ岳七本槍」といいますが、
片桐且元もそのうちの一人に数えられています。