藤原道長 暗殺計画に加担!?平維衡と伊勢国の覇権を争った軍事貴族「平致頼」とは何者?【光る君へ】 (3/4ページ)

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しかし又従兄であった平維衡とは仲が悪く、伊勢国においてしばしば権力抗争を繰り広げました。

恐らく四天王とは言っても、同じ主君の下で力を合わせたというより、武力自慢の荒くれ者上位4名といった感じだったのではないでしょうか。

伊勢国における同族抗争があまりにひどいため、長徳4年(998年)には朝廷から出頭命令が下ります。

平維衡は朝廷の意向をくんでただちに過状(かじょう。始末書)を提出。反省の色を示したのに対し、致頼は朝廷に忖度することなく意地を張り通しました。

その結果として平維衡は軽めの罰ですまされます。それに対して致頼は位階を剥奪された上で隠岐国へと配流されてしまったのです。どうやら平維衡の方が世渡り上手だったのでしょう。

配流から3年後の長保3年(1001年)、致頼はようやく罪を赦され、五位に復帰できたのでした。

道長暗殺計画に加担?

道長暗殺を狙った?藤原伊周(画像:Wikipedia)

晴れて京都へ舞い戻った平致頼。しかし寛弘4年(1007年)8月、道長暗殺計画に加担したという噂が流れました。

道長暗殺計画の黒幕は道長の政敵であった藤原伊周・藤原隆家兄弟。致頼はかつて、兄弟の平致光と共に伊周・隆家に仕えていたことがあったと言います。

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