【戦国合戦のリアル】戦国時代、最下級の家臣の合戦費用は”自腹”!?戦の手柄はどう証明していた? (2/4ページ)

Japaaan

また彼らの武具は、現在の博物館や美術館にあるような、美術工芸品と言われてもおかしくない壮麗な鎧・兜あるいは刀や槍などではありませんでした。むしろ、それとは比較にならないほど粗末な装備だったようです。

彼らの装備は、実用に徹したものだったのは間違いありません。食糧も携行食が発達し、例えば縄に味噌をしみこませて乾燥させたものなどが開発されました(これも、発達と言っていいのか分からないほど粗末ですが…)。

そんな有様だったので、合戦で勝利した兵卒たちが略奪に走ることも珍しくなかったようです。それらも彼らの貴重な収入となったわけです。

彼らは金銭や物品だけでなく、時として人間も略奪しました。兵卒の中には、戦いよりも略奪に夢中になっていた者もいたという逸話があるほどで、勝利に伴ってもらえる恩賞だけでは満足できなかったのでしょう。

軍功の確認と影武者

次に興味深いテーマとして、当時の合戦における兵卒たちは、戦の手柄をどうやって確認したのか、というものがあります。

戦場には軍目付がいたものの、軍目付というのは合戦の大局を見るものなので、個々の兵卒の活躍ぶりを確認するのは困難でした。

そこで戦場の兵卒は、複数の者がそれぞれの手柄を確認し合っていたようです。彼らは単独行動ではなく複数で連れ添っており、誰かが敵の首を獲ると、相方がその戦功を確認して証言者となったのです。

最初に敵を討った首は一番首と呼ばれ、真っ先に本陣へ持参し、首帳という台帳に記録されました。

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