戦国武将・織田信長はこんな”声”だった!?『信長公記』など数少ない記録からその特徴を分析 (2/3ページ)

Japaaan

松永貞徳(Wikipediaより)

その記録によると、1981(天正9)年に本能寺から内裏へと移動していた際、列が進まなくなったので信長は腹を立てました。そこで隊列に向かって怒鳴り声を上げたことがあったのです。

その時、信長は貞徳の家があった前述の三条衣棚から遠く離れた場所にいました。にもかかわらずその声が届いたというので、少なくとも信長の声がよく通るものだったのは間違いないでしょう。

戦場でも通る声?

他にも、信長が大きな声を上げたという記録が存在しています。太田牛一の『信長公記』は、織田信長に関する記録書としては第一級のものですが、これに青年武将時代のエピソードが載っているのです。

それによると、1556(弘治2)年の稲生の戦いで、敵に回っていた柴田勝家と林秀貞に対して大声を張り上げ、彼らを威嚇したというのです。

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