吉原で生まれ貸本屋を営み…2025年大河ドラマ『べらぼう』主人公・蔦屋重三郎はいかにしてのし上がったか? (2/4ページ)
享保6年(1721)の数字によると、吉原の人口は8,171人で、そのうち遊女は2,015人だったそうです。彼女たちは吉原の人口の約4分の1を占めるに過ぎず、遊女屋以外の店も多かったことがうかがえます。
で、詳しい事情はこれまた不明ですが、重三郎が7歳の時に母・津与は丸山家を出ました。
両親が離別したのを受け、重三郎は喜多川氏が経営する商家の蔦屋に養子入りすることになります。蔦屋は吉原で茶屋を営んでおり、ここに「蔦屋重三郎」が誕生したことになります。
吉原で貸本業を営むさて、吉原で生まれ育った重三郎が自分の店を持ったのは安永元年(1772)のことです。彼は新吉原大門口の五十間道で茶屋を営む蔦屋次郎兵衛の軒先を借りて、書店・耕書堂を開店しました。
初めは鱗形屋孫兵衛が発行する『吉原細見』の販売元となりましたが、その後は目覚ましい飛躍を遂げます。翌年には出版業に乗り出し、矢継ぎ早に話題作を連発したのです。
こうして彼は出版業を急拡大させましたが、並行して貸本業も営んでいたこともとても大きかったと言えるでしょう。
江戸時代、本は高価であり、購買層は経済力がある者に限られていました。よって、庶民は貸本屋から本を借りて読むのが一般的で、レンタル料は新刊で約24文、旧刊で6文ほどでした。
当時はかけそば1杯が16文なので、新刊でもそば代ぐらいで済む計算です。本を購入するとなるとその数十倍の金額が必要となるため、貸本屋の需要は相当なものでした。
