「本能寺の変」と細川藤孝の決断。明智光秀と共に滅びる立場にありながら豊臣秀吉から功を賞された男【後編】 (2/5ページ)
明智光秀と共に滅びる立場にありながら豊臣秀吉から功を賞された男【前編】
藤孝の功績とは何だったのか?
秀吉は藤孝の何を高く評価したのでしょうか?
山崎の戦いに参戦できなかったことも、見方を変えれば一色家の軍勢を抑えたと言えなくもありません。しかし、それは些末なものでした。藤孝の功績とは
いち早く光秀に味方しないという意思表示をし、徹頭徹尾それを続けたこと
に他なりません。
繰り返しになりますが、世間は藤孝と光秀を一蓮托生と見ていました。
しかし、その藤孝が光秀に付くことを拒んだのです。そのことは世間に
「藤孝ですら光秀に味方しないということは、光秀に勝ち目はないということか?」
という印象を与えます。その結果、京・大阪周辺にいた有力武将たちのほとんどは光秀ではなく秀吉に付きました。
倫理的には主君である織田信長をだまし討ちした光秀に付くという選択はあり得ません。しかし、そこはあくまで本音の建て前。
