「本能寺の変」と細川藤孝の決断。明智光秀と共に滅びる立場にありながら豊臣秀吉から功を賞された男【後編】 (5/5ページ)
信長の葬儀については羽柴秀吉が大々的に行ったことが知られていますが、自身が信長の後継者であることを内外に宣言するために行われた政治的なパフォーマンスという側面が大きいとされています。
一方、藤孝が執り行った追悼連歌会には政治的な意義はなく、純粋に亡き主君を慕う思いから出たものであると考えられます。
後の話になりますが、藤孝は決別したかつての主君・足利義昭が困窮していることを知ると経済的な援助をするなど、情に厚い一面がありました。
もしかしたら本気で信長のことが大好きで、その信長を討った光秀になんか絶対に味方なんかするものかと思ってやったことが、結果的にプラスに働いただけだった。
ただそんな単純な話だったのかもしれません。
深慮遠謀の末か、単なる気持ちの問題だったのか。
今となっては知る由もありませんが、そういったことを考えるのも歴史を知る楽しみの一つではないでしょうか。
いずれにせよ、文武両道の武将・細川藤孝は、混沌とした状況の中を生き延びる力も抜群だったというお話でした。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan